◇
いやな夢をみた。
暴 食 ナ イ ト メ ア
「なつめ、」
震える声で、呼びかける。
田沼には見えない。
夏目が今、どんな状態なのか。
ただ、黒い影が夏目に覆いかぶさっていることしかわからない。
助けに走ろうとしても、両足が地面に張り付いているかのように動かなかった。そうしている間にも、夏目の左腕がまったく見えなくなった。ずるずると姿を失くしていく左腕は、まるで、
食われているようで――。
「いいんだ」
見透かしたように呟いた夏目の瞳は、恐ろしいほど穏やかだった。
覚悟していたことだから――と、微笑みすら浮かべてみせる。
華奢な身体は、捕食される痛みに絶えず痙攣している。それでも、彼は時折小さくうめき声を漏らすだけだ。ポン太、いや、ニャンコ先生は何をしているのか。姿が見えない。何のための用心棒だ。
このままでは、夏目が食われてしまう!
「だめだ、こんな」
だって失えない。失いたくない。
左足が、見えなくなった。そして右腕、右足、腰――。
苦悶の声を漏らしていた唇が、そこではっきりと動いた。
「ありがとう、さよなら」
「バカ、あきらめるな!」
声はすでに、届かない。
「夏目、だめだ!」
瞳が、ゆるく眇められる。
そこに宿るのは諦観と、悲しみがほんの少し――。
首まで食われた。
ああ、夏目どうして、こんなことに――。
目を開けると、全身にびっしょりと汗をかいていた。
先ほどまでの情景がすべて夢だと認識するまで、かなりの時間が必要だった。
「なんで……」
あんな夢、本当に冗談じゃない。
「なんて顔してるんだ」
会うなり夏目は田沼を見て笑い、一緒に帰ろうと誘った。
そのままほとんど無言で帰路を辿り、どちらから言うでもなく田沼の部屋へと入った。父親は出かけていて、今日は夜まで帰らない。田沼がお茶と菓子を取って部屋へ戻ると、夏目がおかしそうに笑って言った。
「俺が食われたんだって?」
「ああ、多軌に聞いたのか」
「うん」
「そうか……」
どういえば、言いのだろう。
田沼は言いよどみ、菓子をひとつ口に放り込んだ。
気をつけろよ、なんて軽々しく言えることでもない。夏目が1日に遭遇する妖の数は、田沼の倍どころではないだろう。彼には優秀な用心棒が付いているが、恐ろしく強いくせにときどき抜けている。
「……おれは、平気だよ」
わずかな沈黙は、唐突に破られた。
なだめるような夏目の声に田沼が顔を上げると、夏目は穏やかに微笑んでみせる。
それこそ、田沼を安心させるかのように――。
その笑顔には、田沼が夢に見たような諦観や悲しみは一切なかった。
「ニャンコ先生が付いているし、田沼たちが引き止めてくれるから」
「どういうことだ」
「だから、」
手が伸びて、田沼の頬に触れた。
「おれは妖を憎むことはできないけれど、人間も好きだってこと。以前ならわからないけど、今は怖いくらいしあわせで、とても離れられない」
どこか妖艶な笑みに見惚れていると、ふと距離が縮まった。
唇が、重なる。
あっけに取られていると、夏目はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ほら、そういう田沼の顔も見られなくなるし」
間抜けな顔、と頬をつままれたかと思うと、もう一度唇を重ねられた。
まったく、彼には敵わない。
しかし、やられっぱなしではこちらも面目が立たない。
田沼は内心溜息をつくと、再び唇が離れる前に細い顎を捕らえた。頬をつまんだ指が震え、吐息が零れる。田沼は一瞬逃げ腰になりかけた夏目の腰を捕らえ、逃げる隙を与えない。そしてそのまますばやく角度を変えて深く口付けると、舌を滑り込ませて、口蓋をくすぐった。そのまま弱いところを重点的に狙い、執拗に口付ける。そしてしばらく繰り返してからこっそりと目を開けて、夏目の頬が薔薇色に染まり、澄んだ瞳が情欲に揺れるさまを確かめた。
きっと自分も、負けないくらい酔っているのだろうけど――。
いつの間にか体勢が逆転し、力なく畳に横たわる夏目を田沼が見下ろしていた。
「たぬ、ま」
濡れた唇が、ねだるように田沼を呼ぶ。
要求に応えるべく、田沼は再び夏目の唇に噛み付いたときだ。
ふと、夢の映像がよぎった。
妖にどんどん喰われていった夏目の肢体は今、田沼の手にある。
「……まず左腕が食べられた」
「な、に……ッ」
腕の付け根に歯を立てて、きつく吸う。
赤い痕が残り、さらにもう一度――。
「たぬま……?」
不安げな夏目に笑みを返すと、今度は顔をずらして、
「次は、左足」
左足の付け根に口付けた。
そう、それは――。
「夏目の身体が、妖に喰われてくんだ。夢でも耐えられなかったよ」
夢で見た、夏目の身体が食まれていく順番だった。
田沼はすがるように白い身体をかき抱いて、噛み付くように右肩へ唇を押し当てる。
「おれ以外の人間が、夏目を食べるなんて」
こんなに、おいしいのに――。
そう。
夢の真相はきっと――。
苦くて醜い独占欲のせいに違いない。
「田沼だけ、だ」
快楽に意識をさらわれそうになりながら、夏目は言った。
激しい刺激のせいで濡れた瞳を眇めて、小さく笑みさえ浮かべて。
「こんな姿、他のやつに……妖にだって、見せられない……」
――お前だから、ゆるせる。
ああ、本当に。
「おれも」
田沼は瞳を眇めて、零れ落ちそうになった涙を舌で掬う。
そして汗ばんだ髪をかき上げ、額に唇を落とした。
「こんな情けない姿、夏目にしか見せられないよ」
指を絡めて、もう一度、今度は唇を重ねた。
そして、祈るように額を合わせて、目を閉じる。
どうか、今だけは。
きみの心がこちら側へありますように――。
◇
[8回]
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