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◇
嫌いだった。
自分を包むすべての色が、嫌いだった。
だから存在ごと、
消えてしまおうと思ったのに。
蜂 蜜 色 の 憂 鬱
「日向(ひなた)さん、ちょっといい?」
ああ、またか。
放課後、昇降口で声をかけられた。
わたしを囲んでいるのは、女子の先輩方だ。睨みつける視線にはもう慣れてしまって、怖くもなんともなかった。ああ、今日は帰って読みかけの本を読んでしまおうと思ったのに――見たいテレビだってあった。古いドラマの再放送だ。くさいセリフと時代遅れのファッションが堪らない。
こんなくだらないトラブルで見逃すなんて、さらさらごめんだ。
「何の用ですか」
「言わなきゃわからない?」
「わかりたくもありません」
そう言い捨てて笑うと、腕を掴まれた。
「その態度が腹立つのよ」
金髪に蒼い瞳は、生粋のフランス人である祖母譲りだ。
父親もフランス人だが、金髪でも碧眼でもない。隔世遺伝なんて知識は思っているより世間に出回っていないようで、地毛だと言ってもほとんど信じてもらえない。祖母を連れてこようにも、彼女は2年前に他界してしまったのでそれももう叶わない。
そして、わたしを取り巻くもうひとつの事情――。
「ね。まだ苺アイス、好きなの?」
からかい口調で、彼女は言った。
わたしは、幼い頃とある子役モデルの事務所に所属していた。その頃にたまたま抜擢されて出演した苺アイスのCMがヒットしたのだ。それから仕事量がどっと増え、わたしは子どもながら忙殺されてしまいそうなスケジュールをこなしていた。
しかしそれも、昔の話だ。
「大嫌いです」
――ああ、殴ってやりたい
わたしは振り上げそうになった右腕に力をこめて、鞄の持ち手握り締めた。
そして腕を掴む手を振り払い、走り出す。
「あ、逃げた!」
「待てよ!」
集団の中には男子も混じっていて、走力では適わない。
腕をつかまれ、思い切り引っ張られた。バランスを崩し、地面に尻餅をついてしまう。そのまま校舎の影に引きずりこまれて、わたしは地面に貼り付けられた。
「はなして!」
「あの話もさ、ネタなんでしょ」
先輩の手に光っているのは、カメラだった。使い捨てのちゃちなそれを見て、わたしは全身の血液が一気に冷えていくのを感じた。呼吸が詰まり、脳裏にあのセリフが蘇った。
――すごく、かわいいね。
「ひっ、や……ッ……」
「うっそぉ、まさかほんとなの?」
けたけたと笑い声が響き、より強く地面に押し付けられた。
「面白ーい。いっそヌードでも撮る?」
「いいね、ネットに流せば売れるんじゃない?」
「10年後のアオイちゃん!衝撃ヌード」
「……っ……!」
吸っても吸っても、酸素が入ってこない。
どうすればいいのか、まるで頭が回らない。
どんどんテンポが跳ね上がっていく呼吸音とは裏腹に、思考回路は恐ろしく鈍い。
やっぱり、死んでしまえばよかっただろうか。
死のうとしたのは、ほんの三日前のことだ。
入学してから、今日みたいなことが続いていた。
苺アイスの、あおいちゃん――。
10年経ったものの、悪目立ちする容姿のせいだろうか。わたしが日向あおいだと気が付く人も少なくなかった。写真を撮らせてくれと頼まれたこともあるけれど、首を縦に降ったことは一度もない。
しかしその態度が高飛車に見えたようで、今度は地獄のようないじめが始まった。
バカみたい。
心の中で毒づいて、何をされても平気な顔を貫いてきた。
それでも、終わりは見えなかった。
――もう、いいや。
ある日ぷっつりと気持ちが切れて、死のうと決めた。
屋上へ上がり、フェンスへ登って風を浴びていたとき――。
「アンタはバカだな」
あの人が、現れた。
学校一の秀才、けれど同じく学校一の問題児と謳われる――蜂谷鋭利(はちや えいり)。
成績は学年トップどころか、全国模試でトップらしい。まるで機械のように正確に問題を解いてしまうものだから、彼の場合努力云々ではなくて脳の仕組みが一般人と違うのだという噂さえある。
――ただ。
勉強は恐ろしく出来るが、反比例するように素行が悪い。授業には出席点ギリギリだけしか出席しない。それでもテストを受ければ、誰よりも良い点数を取ってしまう。教師たちも扱いに困っているという噂だ――。
そして彼は、あっという間にわたしの自殺を妨害した。
性急で強引なやり方は、わたしに抵抗する暇をほんの少しも与えなかった。
「俺、やさしくないから」
言葉とは裏腹に、そう呟いた彼の声はひどくやさしくて――。
せっかく必死に拭っていた涙が止まらなくなった。
「ほんと、ひどい……」
泣き声のまま罵ると、彼は涙を拭っていたわたしの手を取って笑った。
「自殺なんて、バカみたいなことすんな……ていうか、」
硬い指に髪をすかれて――呼吸が止まった。
「捨てるくらいなら、俺にくれ」
瞳を眇めて、そんなことを言う。
そして。
不意に顎を捕らえられたかと思うと、さらりと唇を合わせた。
もちろん、わたしの唇に――。
「……っ……」
あまりにも突然で、かなり驚いてしまったものだから。
――パン!
「バカッ、最低!」
思いきり張り倒して、逃げてしまった。
あの日、死にぞこなった。
だからこうして今日も生きて、理不尽な暴力を受けて続けている。
――どうして?
涙にまぎれた問いかけは、今もわたしの脳内で生き続けている。
いよいよ息が継げなくなり、気が遠くなりかけたとき――。
「ライダーキーック」
――ガン!
わたしの身体は、唐突に開放された。
震える手が掴まれて、ぐいっと引っ張り起こされる。わたしを押さえつけていた男子はグランドに転がって、額を押さえていた。うっすら目蓋を持ち上げると、怒ったような顔が、わたしを見下ろしていた。
――ああ、またあんたなのね。
蜂谷鋭利は引っ張り起こしたわたしの口に、ポケットから取り出したコンビニ袋を押し当てる。
「吸うな。ゆっくり吐け」
「ひっ……でき、な…・・・っ……」
「できる!やれ!」
叱るように怒鳴られて、無理やりに息を吐き出す。滲んだ涙は、ぐいっと拭われた。
あの日と同じ、硬い掌に――。
「いいぞ。その調子。自分で持てるか?」
なんとか頷くと、蜂谷くんは横向きにわたしを寝かせた。
「ちょっとあんた、邪魔しないでよ!」
「はい、証拠写真」
――パシャ。
蜂谷くんは振り返ると同時に、カメラを持ったままのの先輩を携帯のカメラで撮った。
「日向、目ェ閉じてろ」
わたしが目を閉じるとシャッター音が響いた。わたしの姿を撮ったのだろうか。だらしなく地面に寝転んでコンビニ袋を口に当てている姿なんて、どうするつもりだ。抗議しようにも、今はそんな気力なかった。
それから蜂谷くんは立ち上がって先輩と向き合うと、印籠のように携帯をかざして見せた。
「な、なによ」
「証拠は揃ってる。俺は、あんたらがこいつを押さえつけてカメラを構えているシーンも撮影済みだ。これを学校に提出したらどうなるのかなぁ」
しかし先輩は勝気な笑みを浮かべて、わたしたちを見下ろした。
「もみ消されるに決まってるわ」
「ああ……あんたの親って、保護者会会長だっけ」
「そうよ」
胸を張った先輩を見て、蜂谷くんは思い切り噴き出し、声を上げて笑い出した。
「ママの傘の下できゃんきゃん吼えちゃって、可愛いったらないなぁ」
「な、なによ!バカにしてんの!」
「してる」
きっぱりと断言して、蜂谷くんは携帯電話をポケットにしまった。
「俺、あんたのママにお願いされたもん。今度のテストの問題盗んで対策作ってくれって。そしたら金やるってさ」
先輩の顔が、みるみる青ざめていく。
そして、蜂谷くんの声はみるみる冷えていく。
「親子揃ってバカにしてる、本当に。貧乏人は金ちらつかせりゃ何でもやるって思ってんだから。知ってるだろうけど、最近の携帯ってボイスレコーダー付いてんだよ。便利な世の中になったよなぁ。こんな機能いらないと思ってたけど、案外役に立つね」
そして私の手を引っ張って立たせ、スカートの土ぼこりを払った。
「今度こいつに手ぇ出してみろ。俺はその録音データを警察に引き渡してやる」
しばらく、無言で歩いた。
蜂谷くんは私の手を握ったままだったけれど、なんだか振り払うことができなかった。
「あの……」
「はじめてだったの?」
手を離して、と言おうとしたわたしの言葉を蜂谷くんは遮った。
「は?」
「屋上でキスしたら怒っただろ。あれ、はじめてだった?」
振り返った蜂谷くんの顔は、恐ろしく意地の悪い笑顔だった。
「なっ、」
なんて、デリカシーのない男!
あまりにもひどい発言に開いた口が塞がらない。いや、塞いでたまるか。わたしは開いた口のままめいっぱい酸素を取り込むと、つないでいた手を思い切り振り払ってから、一気にまくし立てた。
「最低!最低最低最低!怒るに決まってるでしょ!はじめてだとかそんなこと関係ない!なんでわたしが付き合ってもいない男にキスされなきゃいけないのよ!それもあんな気楽に!嫌に決まってるじゃない嫌過ぎるわよこのキス魔変態痴漢!」
「否定しないな。やっぱはじめてか。悪かったな」
「うるさいわね!あんたには関係ないわよ!」
「心配すんな。責任は取る」
「そういう問題でもないわよバカー!」
まったく噛み合わない。
噂とはまるで違う。機械仕掛けみたいに精密な思考回路で、常に論理的に動いているのではなかったのか。もし本当にこの人がそんな人間ならば、わたしをこんなに怒らせることなんてできないだろう。
それとも頭が良い人間って、どこかずれているものなのだろうか。
疲れ果てたわたしがげんなりと肩を落とすと、蜂谷くんは珍しいものでも見るように瞳を眇めていたけれど、不意に小さく笑った。
「……むかつく。なんで笑うの」
「元気いいじゃん。そっちの方がいい」
彼があまりにもきっぱりと言うものだから、わたしはすぐさま言い返せなかった。それに、そういえば彼はわたしがなぜあんなことになっていたのか、まったく尋ねようとしない。
「俺、あいつらみたいな阿呆な連中はすげぇ嫌いだけど」
一瞬わからなかったが、すぐにさきほど絡んできた先輩のことだとわかった。
しかし蜂谷くんのような人間からすれば、ほとんどの人間が阿呆に見えるのではないか。
そんなわたしを見透かすように、彼は軽やかに笑う。
「アンタみたいなバカは、かわいくて好きなんだ」
――ちょっと、そんなの。
思わず言葉を失った隙を突かれて、再び手を取られる。
「アンタって呼ぶの、やめて。あたしには日向あおいってスバラシイ名前があるんだから」
かろうじてそれだけ言い返すと、蜂谷くんの瞳がまた、意地悪くきらめく。
「じゃあさ」
「なに、よ」
「アンタって二度と呼ばないから、俺と付き合って」
なんだ、それ。
「あんたって、もしかして本当は」
再び肩を落としてから、わたしは真顔で問いかけた。
「すっごいバカなの?」
◇
つづくような、つづかないような。