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野卯ミカ
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読書♪創作
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読むのも書くのも好きです。
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オリジナル恋愛長編 『 愛犬服従歌 』
 第13話 【 世界を廻すのは 】


  ※続きモノです。
  未読の方はこちらからどうぞ→愛犬index



 ◇



 だからあの手を、離せなかったんでしょう。






愛 犬 服 従 歌






13 世界を廻すのは



「ゆーびきり、げんまん」
 歌が、響いている。
 囁くような、澄んだ少女の歌声が――。
「うそついたら」
「だれ……」
「はりせんぼん、のーます」
 誘われるように目を開くと、そこには一人の少女が腰掛けていた。
 ふんわりとした長い髪を腰のあたりまで伸ばし、前髪は眉の上できれいに切り揃えていた。丸く大きな瞳がただでさえ幼い印象を与えるというのに、その髪型がより幼さを強調しているように思えた。肌は透けるように白く、もしかすると臥せっている優姫よりも白いかもしれない。
「さあて、だれでしょう?」
 目を覚ました優姫に気がついた少女は、歌うのを止めて悪戯っ子のような笑顔を見せた。
 ああ、やはりあどけない。
 自分よりも、年下なのだろうか。
 どこかで見たような顔だが、うまく思い出せない。
 もしかするとこれは、夢だろうか。
 ぼんやりと優姫が考えていると、少女の白い手が優姫の額に触れた。
「熱はないみたいだね。気持ちの問題かな?」
「質問に、答えて」
「わたしの名なんて、どうでもいいじゃないか」
 軽やかに笑い声を零しながら、少女はするりと指を滑らせた。
 不思議な子だ。
 優姫は奇妙な感覚に落ちいった。
 彼女は確かにここにいて、触れた掌のひんやりした感覚を感じるのに、ひどく遠い。
 ああ、やはり夢か。
 優姫がそんなことを考えていると、ふと少女の顔から笑顔が消えた。
「かわいそうな子」
 優姫の頬に触れ、哀れむように少女は呟いた。
「本当は、一をあんな風にするつもりじゃなかった」
「なに、を」
 知ったような、ことを言う。
 しかし、少女は喋るのを止めない。
「拾ったのはほんのきまぐれで、傷が癒えればさっさと捨てるつもりだった。でもあのときのきみはまだ子どもで、信頼できる人間が傍にいる心地よさに抗えなかった」
 まるですべて見ていたかのような彼女の言葉に、優姫の心は容赦なく過去へと引きずり戻される。
 ――あの日。
 クローゼットに傷ついた一を引っ張り込んで、ふたりで眠った。優姫がつけた消毒の匂いと、それとは別に何か薬品の匂いがする彼の身体は細く骨ばっていて、いつも抱いて眠るぬいぐるみの抱き心地とはほど遠かった。無表情なのも伴って、まるでロボットみたいだと思った。
「信じてなんか……ないわ」
 やっとのことで、呻くように少女の言葉を否定する。
 あの日一は、驚くほどあからさまな敵意と、するどいまなざしで優姫を見つめていたのだ。
 いつ殺されてもおかしくないと、気づいていた。
 それでも、殺されても構わないと思っていた。
 けれど、彼は何もしなかった。
 それどころか朝目覚めると――。
 何かから守ろうとしているかのように、細く傷ついた腕で優姫を抱きしめていた。目を覚ました彼の瞳からは敵意も殺意も消えていて、不思議なほどおだやかな色を湛えていた。
 なぜだったか、もう覚えていない。
 覚えていないけれど、でも――。
 ほっとして、泣きそうになったことは覚えている。
「一の忠誠は、きみのせいじゃない。きみの前に、彼は神楽坂から呪いをかけられている」
「のろい……?」
「でも大丈夫」
 少女はふわりと立ち上がり、そして微笑んだ。
「呪いの解き方はわたしが知ってる」
「……無理よ」
「あれ、まだ気づかないの?」
 少女は目を丸くして、驚いたように呟いた。
「ぼくときみは瓜二つなんだよ。ほら、きみの制服もぴったりでしょう」
「だって……それは夢だから」
「そうかもね」
「あ、あなたは誰なの……」
 思わず身体を起こした優姫にいたずらっぽく微笑んで、少女はひらりと身をひるがえした。
「神楽坂優妃」
 かぐらざか、ゆうひ――?
 踊るようにステップを踏み、少女は扉の外へ消えた。
「ああ、やっぱり夢ね……」
 呟いて、優姫はまたうとうととまどろみへ落ちる。
 彼女の名は、もう十年以上前に死んだ優姫の母親の名そのものだった。



「どこへ行くんですか?」 
 部屋の外には、真哉が壁にもたれて立っていた。
「学校よ。いけないの?」
「だめです。体調が優れないんでしょう」
「平気よ。ほら、ね」 
 優妃が軽やかに身を翻すと、真哉はすかさず彼女の腕を掴む。
「お遊びはそのくらいにしたらどうだ、優妃」
「……つまらないな。きみはノリが悪い」
「当然だ」
 優妃がつまらなそうに溜息をつくと、真哉が顔をしかめた。
「どうやって部屋を出た」
「あんなおもちゃみたいな鍵で、セキュリティー万全のつもりだったの?」
「質問を変えよう。どうして出る気になったんだ」
 あどけない仕草で首を傾げた優妃の言葉は、彼女がいつでも部屋から出られたことを匂わせていた。しかし彼女は、十年にも渡りあの部屋に留まり続けた。部屋に留まり、本を読み漁り、研究に没頭していたのではないか。俗世から離れ、人々を神のように傍観し、知識の海に潜り続けていた彼女がなぜ――。
 なぜいまさら、出る気になった?
 そんな問いが含まれた真哉の言葉に、優妃は美しく微笑んで見せた。
「呪いを解くために」
「呪い?何をばかなことを」
「ふふ、ばかはどっちかな」
 試してみようか?
 いたずらっぽく瞳がすがめられたかと思うと、優妃がぐっと身体を沈めて一気に飛びあがった。そして掴まれていた手首を思い切り引いた。
「なっ、」
 真哉は堪らずバランスを崩し、そこに優妃が容赦なく蹴りを繰り出す。
 優妃は足先で真哉のめがねをひっかけると、思い切り足を跳ね上げた。そして間髪入れず身をひねり、真哉のみぞおちを思い切り打つ。
「ぐ、あ」
 視界を奪われた上に急所を打たれ、真哉はなすすべもなく床へ崩れ落ちる。
 あまりにもスマートに男ひとり沈めてしまった優妃を、真哉は呆然と見上げた。とても十年部屋に閉じ込めていた少女の身のこなしとは思えない。しかし現実において真哉はあっさりと床に沈められ、彼女に見下ろされている。
「きみの体格と身体能力は把握済みだから、あとはそれに対応してこちらが動くだけ。簡単なことでしょう」
 声にならない真哉の疑問に答えてみせると、優妃は運動後のアスリートのように身体をほぐすように揺らした。しなやかな手足はけっして筋肉質ではなく、むしろ華奢に見える。
「天才ではなく、万能であれ」
 歌うように優妃は言い、ひらりと身を翻す。
「きみの父さんが、毎日わたしに言い続けた言葉だよ」
 ――四角い部屋に、ひとりきり。
 研究資料に埋もれ、課題に追われ、しかしそれを難無くこなす。さらにそれは、学業だけに非ず。まさにそれこそが天才であり、万能である証とでも言うのか。
「さあて、久々の自由だ」
 じょじょに暗くなる真哉の視界の隅で、優妃はのびのびと両腕を伸ばした。
 そして勢いよく振り下ろすと、ふっと息をついた。
「あのバカ犬を殴ってやらなきゃ」



 ◇


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