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オリジナル恋愛長編 『 愛犬服従歌 』
第8話 【 脅迫と束縛 】
※続きモノです!
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愛 犬 服 従 歌
08 脅迫と束縛
「ブランコに乗りたかったの」
唐突に語り口に、智子は少し怪訝な顔をした。
幼い優姫が、こっそり屋敷を抜け出したときのことだ。
ひとりで近くにある小さな公園へ行った。絵本で見たブランコに乗ってみたかったのだ。望めば家の庭に造ってもらえたのかもしれないが、優姫はそうしなかった。
一人遊びにも、飽きてしまっていたのだ。
「でもね。選んだ場所が悪かったのか、誰もいなかったのよ。結局ひとりでブランコに乗って、飽きて帰ろうとしたとき」
何かに躓いて、優姫は転んだ。
それはゴミのように転がっていて、けれど確かに息をしていた――。
「それが、イチだったわ」
智子は息を呑み、肩を強張らせた。
「冬だったのに薄いTシャツに短パンで、見えているところのほとんどに傷や痣が出来ていたわ。イチは母親からひどい虐待を受けた末に、捨てられたの」
助けようとしゃがみこむと、彼はやせ細って骨ばかりの手で、優姫を突き飛ばしたのだ。
――バカにするな。
骨と皮で、それでも眼光は鋭かった。確かに死にかけていて、それでも射るようなまなざしで優姫を睨み上げてきた。生きることに絶望しきった、暗い瞳――。
「生意気そうで、気に入った。だから持ちかけたの」
嘘だ。
多分、似ていたからだ。
あの頃の優姫も、同じような目で周囲を見ていた。
「生かしてやるから犬になれって」
智子に瞳が、弾かれたように揺れる。
そう、これ普通だ。
智子の表情を他人事のような気持ちで眺めて、優姫は納得した。
自分たちの関係は出会いから狂っている。
「イチは頷いたわ。だからこっそり部屋に置いて、父の部屋にある医学書を読みながら世話をした」
「そんな、半分脅しみたいなこと……」
智子の意見は正しい。
あのまま外へ転がされていれば、あの数時間後には寒さと衰弱で死んでいただろう。
彼に、選択の余地はなかった。
「だって犬が欲しかったんだもの」
――そうだ。
胸を張って他人に語れる理由などない。
欲や金に支配されていた麻生家において、優姫の立ち居地はいつだって危うかった。一緒に暮らす父親すら、信用できない。周囲は敵ばかりで、寝ている間すらも気が抜けない。優姫の神経は張り詰め、疲弊し、磨り減っていた。
いつ気が狂ってもおかしくないほどに――。
「人間は信用できないから嫌い」
「でも戌亥先輩は」
「犬よ」
優姫はきっぱりと言い切り、微笑んだ。
「わたしと彼の関係は主人と飼い犬。それ以上も以下もないわ。恋愛なんてものは、人間同士でするものよ」
「……でも、お二人は、人間です。なのにこんなのって」
呟かれた言葉があまりにも健全で、それも彼女は今にも泣き出しそうな目をしていて、優姫は思わず笑ってしまった。
「わかって欲しいだなんて、思ってないわ」
彼女の清廉さや、まっすぐな部分には好感が持てる。彼女はきっと、本当にまっすぐな好感を一に向けていたに違いない。
この少女ならば、一を明るい世界へ導くことができたかもしれない。
「本当に、イチはバカね」
しかしだからこそ、こちら側には来て欲しくない。
来てはいけない、と思う。
優姫は去り際に、智子の震えた手にそっと自分のそれを添えた。
「ひどい話をして、ごめんなさいね」
車へ戻ると、優姫の車の前に意外な顔が待っていた。
ベリーショートの髪型に、意志の強そうな強い瞳――桐島籐子だった。
「どうしてここにいるの」
素直に驚いた優姫に、彼女は肩をすくめた。
「一日青い顔をしていたでしょ。何があったの」
「別に何もないわ」
「嘘」
籐子は閉まりそうになったドアを無理やり阻み、自分も乗り込んだ。
「何してるの」
「ポチがあんまり辛気臭い顔で歩いてるから、聞いたのよ。神楽坂の家に行ったんでしょ。あいつに何を言われたの」
籐子の家は、有名な医薬品メーカーを経営している。
それゆえに、神楽坂家とは古くから交流があった。彼らもまた、幼い頃から何度も顔を合わせている。籐子は神楽坂の家にも顔を見せるが、真哉のことは毛嫌いしていた。
――コノ世界に、アナタノ所有物(モノ)ナンテヒトツモナイ。
「なんでもないの」
優姫の指がほんの少し震えたが、すぐに誤魔化すように握り締めた。
――オフタリハ、人間デス。
首輪を締めて、傍を離れないように縛りつけた。そうすることで、どちらも安心できた。優姫は犬である一を信頼し、一は主人である優姫を信頼した。互いに、いわゆる真っ当な関係を望んでいないのだ。
人間なんて、人間なんて人間なんて――。
「嫌いよ。吐き気がする」
唸るように呟いた優姫に、籐子は不安そうに瞳を曇らせる。
「姫?」
「なんで勝手なことばかり言うの。わたしは主人で、イチは犬なの。それ以外に何にもない。何もいらない。何も、欲しくないのに」
握り締めた手を唇にあてて、痛みを堪えるように瞳を眇めた。
「ねえ、フジコ」
「何?」
硬く蓋を閉ざして抑え続けてきた問いかけに、優姫の喉が詰まる。
声に出してしまえば、そうなのだと肯定されてしまいそうで――。
それでも、これ以上は問わずにはいられなかった。
「だって、もうわからない」
彼を暗い場所へ縛りつけ、沈めようとしているのは自分ではないのか――。
真哉に突きつけられた資料が、一を慕うあのひたむきな瞳が、優姫の胸に救う猜疑心を容赦なく突き続ける。
優姫は泣き出しそうな瞳を籐子に向けて、ついに口に出した。
「わたしは、イチを手放すべきなの?」
◇