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愛だの恋だの、そんな甘ったるいものじゃない。
ただ、君は。
モノクロオムだった僕の世界に、あっというまに色をつけたんだ。
明るい、明るい。
光の色を。
蜂蜜色と不条理なやさしさ
吹き渡る風、蒼空、屋上のフェンス。
アンバランスな世界に、君はいた。
不安定な錆びたフェンスに腰かけている。ひらひらとはためくスカートだけが、その世界の空気の流れを知っている。そこから伸びるしなやかな白い足はさながら、君の行く先を定めるコンパスのようなものなのだろう。
生か死か、決断するためのコンパス――。
屋上へやってきた僕の存在に、君はまだ気がつかない。
やわらかそうな、日本人離れした蜂蜜色の髪の毛が、ふわふわと風になびいていた。脱色などはしているわけでは、ない。僕の知っている情報が正しければ、彼女は日本人の母とフランス人の父を持つ、いわゆるハーフというやつらしい。中学生にありがちな、異質な存在の迫害が、彼女にも行われた。真新しいはずの制服はひどく汚れ、透けるように白い足には痛々しい擦り傷や痣がいくつもあった。
みんなどうかしている。あんなきれいな髪と瞳――いったい何が気に入らないというのだろう。
フェンスの前には、きっちりと揃えられた上履きと、どこにでもある茶封筒。茶封筒には丁寧な字で、遺書、と記してある。
それが、すべての境界線だ。
それらから向こう側は、風と蒼空だけが支配する、君だけの世界。
僕はそこへは行けない。僕はまだ、君の世界へ入り込んではいない。けれども、声だけは送ることができる。僕の存在を君の世界へ知らしめることが、僕にはできる。
大きく息を吸って、顔を上げて、
「――アンタはバカだな」
僕ははっきりと言う。この上ないほどに、きっぱりと言ってしまう。
僕の声は吹き渡る風に乗り、世界の主へと届けられた。
君は振り返り、僕を見た。
無表情が驚いた顔へと変わり、それからすぐに悲しげに歪んだ。
君は笑ったつもりだったのだろう。
――残念。
僕には、泣き顔にしか見えなかった。
「大バカだよ」
僕は吐き捨てるように言うと、一気にフェンスをよじ登った。
境界線を、破ってやった。
君の大きな瞳は丸く見開かれて、その中心へ僕を映していた。心の中で、僕は笑みをつくる。
ほら、僕はもう君の世界へ入り込んだ。
手を掴み、そのまま力任せにフェンスの内側へ引きずり下ろす。白い腕を掴む浅黒い自分の手は、いつもより黒く焼けて見えた気がした。声にもならぬ悲鳴のあと、君は冷たいコンクリートへ座り込み、呆然として僕を見上げていた。アンバランスな世界の主は、安定した場所へと降ろしてみるとあまりにもか細く、頼りなかった。白く細い腕は小さく震え、瞳は涙で潤んで揺れた。
「目の前で死ぬなよ。気分が悪い」
意地悪く言ってやると、君の空色の瞳から、涙が一粒、零れ落ちた。
「……なんで」
薄い唇からやっと零れ出た、涙まじりの言葉には、きっとたくさんの言葉が続く。
死なせないなら、なんでもっと早く助けてくれなかったの。
なんで死なせてくれなかったの。
なんで今、助けたの。
なんで、なんで、なんで、なんで――。
そんなたくさんの問いかけに、僕は笑みひとつだけを返した。
「俺、やさしくないから」
君はひどく驚いた顔をして、それから少しだけ、泣きそうに笑った。
優しくなんか、してやらない。
世界に色がついたとき、僕は決めたのだから。
君の世界は、まだまだ僕が終わらせない、と。
◇
[3回]
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